歩くことがとても好きな私、すぐに目的地に着きたくない
目的地まで20分
JRの駅を降りて、商店街をまっすぐ歩く。
大都会の入り口となる商店街、といっても大都会のかなり手前で、ここから徒歩20分歩かなければ、大都会にはたどり着かない。
さびれた商店街、とまではいかないものの、ところどころにさびれかけた雰囲気を漂わし、5年後、10年後にはどのような姿になるのだろうかと、思わず考えを巡らしてしまう。
歩くことがとても好きな私は、こんな風にして、目的地までの道のりをあえて、散歩風にしてみるのだ。
早々と目的地に着いてしまうと、なんだかおもしろくない。
そこでやる事や、考え、感じる事はいつも大して変わらないし、結局は夕暮れとともに、閉塞感を引き連れ帰路に着く、答えは見え過ぎているからだ。
だからといって、あえて助走をつけることで、何かが変わるのか、きっと変わらないんだろうなぁ、そんな事を考えながら歩く。
商店街を抜け、大きな交差点で信号が青に変わるのを待つ。この交差点を信号を待つことなくわたれたことは一度もない。
とても不思議な交差点。
商店街の終わりかけ、信号が視界に入った時はいつも青だ。
そこから交差点まで1分、この1分で決まって赤になる。
待ちながら、左手のローソンをのぞいて見ると、交差点に面して、休憩コーナーが、ここで一休みして、信号の変化を眺めてみるのも悪くない。
青から赤までの所要時間を計り、どれほどの人が足止めをくらい、たたずむのかを記録する。
全く持って意味のない、偉大な行為だ。
横断歩道の途中に、左折しきれなかった車が一台。
明らかに歩行者の進路をさまたげ、皆不快な顔で車をかわして横断歩道を渡りきる。
車内の中年男性は、申し訳なさそうな表情とそれ以上に恥ずかしい思いでただ、正面を向いているのだろう。
職場の後輩に、先輩の威厳をみせようと、注意をした時、実は後輩のやってることが正しかったとわかる。そんな時の申し訳ない気持ちと似ているような気がする。
無理して意気込んだ後に、生じることの多い、恥ずかしさ、この運転手も無理のある左折を試みた訳だ。
哀れみで、運転手に向かって少し会釈。
意外にも運転手はしっかり会釈を返してくれた。
横断歩道をわたりきり、緩やかな坂道を歩く。
傾斜ってのは人の目線を下げるんだ。
自然と足元に目が行き、自分の足の運びを確認することになるのは、生きていくことも同じで、登らなければいけない山が、大きければ大きいほど、自分を見つめなおすきっかけをくれているのかもしれない。
思っている以上に、自分の足の運びとはぎこちなく、そして左右非対称なアンバランスな動きをしているのだ。靴だってお世辞にも綺麗とは言えない。
坂道は終わりを迎え、スーツ姿のサラリーマンや飲食店の従業員の姿がちらほらと増えだした。
大都会はすぐそこなのだ。
残りわずかとなった目的地までの道を、ストライドを狭め、丁寧に刻む。
最後の悪あがきだ。
とここで、これから会う予定の友人から着信が。
仕事が終わりそうになく、今日は会えないらしい。
立ち止まり、その日はじめて、来た道を振り返った。
aloha shigeru!!!