「この人”プロ”だな。」と感じる瞬間
日常に潜むプロ
日常の中で、「この人”プロ”だな。」と感じる事は数少ない。
私は関西でも、この”プロ”を捜す意味では三本の指に入ると自負しているが、そんな私でも”プロ”と出会うことは年間でも数回なので、一般の方が”プロ”を見つける事は殆どないと言っていいのではないだろうか。
勘違いしないで頂きたいのは、私の言う”プロ”はプロ野球選手やプロサッカー選手といった、やっている事の頭に”プロ”がつくメジャーな類のモノではない。
そんな手の届かない、夢という言葉で形容されてしまう、華やかな、憧れの対象とは違う。
もっと日常的で、目の前に存在し、しかし気付く目を持つ人にしか、わからない、そんな日陰に咲く、プロフェッショナルの事である。
長年、研究を重ねる中で気付いた。
私の思う”プロ”達の輝きはあまりに儚く、そして、その場に運良く居合わせなければ決してお目にかかることの出来ない、そんなオーロラのようなモノであると。
つまりプロという看板を常にひけらかす事なく、グッと胸の内に押さえ込んでいるのだけれど、それでもにじみ出てしまう一瞬がある。
そんな人達である。
今年は、まだ始まって三ヶ月弱、にもかかわらず、すでにこんなプロ達の輝きを二度も目にすることが出来た。
心から感謝し、ここに記したいと思う。
職場の”用務員、兼何でも屋”T氏
その日、T氏は社員が食べ散らかした、食器の後片づけをしてくれていた。
その食器の量がハンパじゃない。
とにかく洗い続けるT氏、何でも屋とはいえ、さすがに腹も立てていたことだろう。
「洗えども洗えども皿減らず、その手をじっと見つめる。」
石川啄木風に思わず詠んでしまったのではないだろうか。
そんな中、バカな女子社員が洗い物をしている部屋の明かりを誤って消してしまった。
気付かずに、そのまま立ち去る女子社員。
暗闇の中から聞こえる水音と、皿を擦る音。
漆黒の闇の中でもT氏は決して動きを止めない。
時間にしておそらく、二分程度。
その様子を少し離れた所から見ていた私は、さすがに我慢出来ず電気を付ける。
明かりに照らされたT氏は、笑顔で「ありがとう。」と一言。
その後、何事もなかったかのように大量の皿に向き合う。
私は思った。「この人プロだな。」と。
最近、私が通いだした”食堂の店主”Y氏
職場近くに、最近見つけた、ベトナム風食堂。
店主のY氏に笑顔は一切ない。なんなら、「いらっしゃいませ。」の一言もない。
愛想もこいそもないわけだ。
それでも、ここの豚角煮セットは絶品である。
このベトナム風食堂に訪れたのは計三回。
初回と二回目は一人で、三回目は友人二人を連れて訪れた。
三回目に、訪れた際の事である。
私は過去二回、豚角煮セットに付いてくる、一品を少し残した。
どうにも口に合わず、食べ切れなかったのだ。
とは言え、そこまで気にはならない。
メインの豚角煮が食べれればそれでいい。
私の強引な勧めもあり三人共、豚角煮セットを注文。
運ばれてきた、セットを見て、目が丸くなる私。
三人の内、私のセットの一品だけが、いつもと違うモノになっているではないか。
瞬間的にY氏を見る。
Y氏はこちらを見ることもなく、黙々と調理にあたっていた。
あの愛想もこいそもない、Y氏がみせた、本物のサービス。
それを口にする事もなく、当然かのような振る舞い。
友人二人に向け、思わず呟いた。
「あの人プロやわ。」と。
日常に潜むプロ。
プロがプロである所以を簡単に目にする事は難しい。
受け取る側に、見る目と感性が要求されるからである。
一人でも多くのプロと出会うため、今日もアンテナを張り巡らし、日の当たらない場所を見つめたいと思う。
aloha shigeru!!!