生まれ変わりました~足の裏弱い族と救いの場~
俺ハイアーチ
足の裏が非常に弱い。というか痛い。
先天的なハイアーチというやつだ。
偏平足はみなさんご存じだろう。土踏まずがない状態、アーチが下がり、負担が強くかかる。
私の足はその逆で土踏まずがあり過ぎる。
昔は、この土踏まずが必要以上にある状態を誇らしく思っていた。
土踏まずがある、というのはなぜだか運動神経がいい、足が速いと思われやすい。
確かに昔から足は速かったし、運動全般がそれなりに出来たものだから、余計にこのハイアーチを神から授かった才能だと思い込み、偏平足の友人を少し高い位置から見下していた気がする。
しかし、このハイアーチ、それほどいいものではなく、偏平足となんら変わりない、負担ばかりがかかる足だという事に、ここ数年でようやく気付いた。
なさ過ぎは駄目、でもあり過ぎも駄目なのだ。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し。」先人達の言葉は間違いない。
さてこのハイアーチ具体的にどのような問題が起こるかというと、筋肉への負担、身体全体への負担というよりか、とにかく足の裏が硬くなり、マメや魚の目ができる。
土踏まずがあり過ぎるというのは、地面を支えている面積があまりにも少なく、足の裏の母指球と小指球、それに踵、これら三点だけで身体全体を支えている状態なのだ。
試しに足の裏を水に濡らして、アスファルトに足形を付けてみる。
するとどうだろう、足が前と後ろの二つに、完全に分離された足形が出来るのだ。
どれほど土踏まずが深いかイメージして頂けただろうか。
イメージ出来ないという人のために、もう一つ具体例を。
高校生の時、風呂で体を洗おうとして、石鹸を落とした。石鹸を拾おうと足元を探すが、石鹸は見当たらない。あいつの滑り具合は半端じゃない。きっとツルツルと想像も出来ない場所に逃げ込んだのだ。
後ろを振り返ったり、浴槽の下を覗き込んだりと、おそらくないであろう場所まで探すが見つからない。
石鹸の神隠しだ。受け止めきれない現実に呆然としていたその時。
足の裏がなんか変だ、明らかな違和感がそこにはある。
違和感の塊であるその場所、つまり足の裏の土踏まずに目をやると、石鹸はここが自分の居場所だといわんばかりにそこに居座り、見つけられたことに決して焦るでもなく、また完璧な縦列駐車を思わせる収まり具合を見せていた。
この体験以来、私は他人に、己の土踏まずの深さを説明する時、このエピソードを用いていることは言うまでもない。
お分かり頂けただろうか、どれほど土踏まずが深いのかを。
そして現在、私の足の裏には左足の母指球と小指球に魚の目が一つずつ、右足も魚の目こそ出来ていないが、あきらかに硬質なタコがある。
こいつらがとにかく痛い。
私のような足の裏弱い族が生き抜いていくには、とても厳しい環境だと言えるだろう。
しかし、世の中まだまだ捨てたもんじゃない。私のような足の裏が弱いことに打ちひしがれている弱気民を、救う集いの場所がこの世界には存在する。
この集いの場所をフットセラピーと言う。
「硬くなった足裏、魚の目やタコだらけの足裏を綺麗にします。その日のうちに痛みはなくなります。」
魔法のようなキャッチフレーズに、足の裏弱い族は藁をも掴む思いで、駆け込むのだろう。
そして、わたしも先日駆け込みました。
30年以上積み重ねられた、その地層は削りに削られ、今まででベスト3に入る足裏だと言われ、なんだが気恥ずかしく、ちょっぴり誇らしく、そしてツルツルの生まれたての赤子のような足裏に生まれ変わりました。
「生まれ変わるなら生きているうちに。」長渕剛。
生まれ変わった帰り道、なぜだか道行くすべての人に、感謝の気持ちを伝えたくなり、そんな事をしたら変な人だと思われるので、グッとこらえ、その分踏みしめる事の出来なかった、この母なる大地を、いつもより少しだけ強く踏みしめたのでした。
aloha shigeru!!!