”終わっている”と誰もが言うが、問題は”決して終わらない”ということ
最悪の最上級”終わっている”
”終わっている”という言葉があちらこちらで、ささやかれる時代である。
endでありoverだ。
最悪の中でも、最上級の言葉。
それが”終わっている”である。
私も先日、我が社の社長の、あまりに自由奔放な経営ぶりを目の当たりにして、思った。
”終わっている”と。
政治家の訳の分からん政策。
税金の無駄使いとしか思えない、高速道路のリフレッシュ工事。
喫煙者ばかりが悪者扱いを受けるこの時代。
そんな状況を目の当たりにしたとき、人々は思う。
”終わっている”と。
しかしだ、事態はそんな言葉通りの単純明快なモノではない。
われわれが、もっとも危惧しなければいけないのは、”終わっている”と感じる物事の大半は”決して終わらない”ということなのだ。
つまりは生き地獄、この最悪の状況に本当の意味での終わりはいまだ見えない。
終わりゆくならまだマシである。
物事の終わりには新たな始まりがある。
トンネルの終わりには光が見えるだろう、別れの後には出会いがあるはずだ。
本当の終わりには、同時に僅かながらの”希望”が付随してくるのだから。
今日も日本のどこかで”終わっている”と呟いた、そこのあなた。
事態は”決して終わらない”ということを肝に銘じておいてほしい。
そんなことを考えていた矢先、少し前の飲み会で知り合った、女子からのメール返信が完全に途絶えてしまった。
しかも、2人で食事に行こう、という誘いのメールを打ってから返信がない。
これに関しては完全に”終わっている”状態である。
この話を友人のHに伝えたところ、「終わってる所か、何も始まってないね。」と言われ、下を向くしかなかった。
aloha shigeru!!!