移り変わり、流れゆく時代の中で、今も昔も変わらない事
出したくても出せない、この辛さ
様々なことが移り変わり、流れゆく時代の中で、私個人も成長しているのか、衰退しているのか、どっちとも言えずいい歳になり、今だに明確な未来が描けずに日々を過ごしている。
そんな暮らしの中で、今も昔も私の中で変わらぬ事、それはゲップが出せないという事である。
これは、自然におもわず出てしまったというケースを除き、あくまで自発的に出せないという事である。
なぜ出せないかについては、医療従事者に尋ねた所、おそらく気管的な部分が人より絞られているのではないだろうか、という事だった。
「それをなんとか出せるようにしたいんです。」と懇願すると、アホらしくて付き合えない、という顔をされたので、これ以上、追及はしないでおこうと思う。
ゲップを自発的に出せないことに対しての弊害はことのほか大きい。
ビール等の炭酸飲料を飲んだ時の、胸部に起こる圧迫感はあまりに苦しい。
酔ってもいないのに、それ以上飲めないという事態が頻繁にある。
飲みの席で、豪快に響かせるあの爽快な音を聞き、何度真似してみたことか、心から羨ましく思い、ゲップが出せない身体に生み落とした、天に憎しみの感情がこみ上げてしまう。
正しい理論と方法
身体的にあまりにも自然な現象、ゲップ。
あまりに自然なだけに、どうしたら出せるかという、その方法論を的確に指導してくれる、良き指導者に巡り会えないままに、今までの人生を過ごしてきた。
周囲の方々が指導してくれた方法は、感覚的な割合が非常に高いモノばかりで、真似ようとするのだが、成功に至った事は一度もない。
長嶋茂雄氏の野球における身体論も同じ様なモノで、おそらく彼の中で考えなくても出来てしまうごく自然な事だ。
それが故に、人に教える事が出来ない。
ガッーとかバッーという擬音語で表現する以外に相手に伝える方法がわからないのは、感覚でしか物事を捉えていないからであり、理論を学び、身体に染み込ませ、上達してきた人とは、そもそも種類が違うのだろう。
私がこの記事を通して言いたいことは、私と同じように、ゲップを出せない日々を過ごし、その中で出す方法論を学び、理屈でもってゲップを出すことに成功した人に教えを乞いたい、と言うこと。
でなければ、これから先の人生、私はゲップを出すことなく終わりゆくという事である。
所で、口から出る事なく、消えゆくゲップの行く先だが、先程の医療従事者いわく、上から出ないモノは下から出ている、との事だった。
だから飲みの席でオナラが止まらないのかと、妙に納得した。
aloha shigeru!!!