日々楽書~針小棒大~

くだらない事を宇宙規模で

自然の油を出すために、脱シャンプー、石鹸、洗顔

入浴における”バブルの崩壊” 

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 全身から自然の油を出すために、シャンプー、石鹸、洗顔は三日に一回にとどめようと決心した。

 本日のお昼頃のことである。
 現代人は皆、潔癖性である。かく言う私も、潔癖性とまではいかないものの、けっこうな神経質で、風呂に入っていない身体で、布団に入るなど考えられない。
 頭はしっかりと泡立ててシャンプーしないと、気が済まないし、石鹸で身体を洗う際も、かなり入念に、どの部位を女子に攻められても心配がないように、時間をかけて洗っていた。
 このような神経質なおこないが、全身から自然の油を奪っていくらしい。
 

 本当の意味で身体にいいことをして生きていこう。
 そんな思いで、今、風呂場に立っている私。
 意識的にお湯だけで済ますのは、人生ではじめてかもしれない。
 風呂に対しての挑み方が、普段とまるで違う今日、汚れを落とす入浴ではなく、成分を活性化させるための入浴。
 不安はある。少なくともこの三十年間、入浴とはイコール、泡立てることであった。
 泡は全ての汚れを落とし、臭いに対しての不安さえ優しさで包み込んでくれる。そう信じてきた。
 しかし同時に、物事の本質までも覆い隠し、見えなくしていたとは、まさに”バブルの崩壊”である。
 

 気にかかるのは整髪料だ。いわゆるワックスである。
 仕事柄、身なりには、ある程度、気をかけているつもりなので、髪型も終日キープ出来るように、ワックスをつけるのが、日課となっている。
 お湯だけで、このワックスはどれぐらい落とされるものなのだろうか、私の使用しているワックスは、グリースタイプなので、水性であり、お湯の力だけでも十分に落とされる気がするが、実際の所はどうなのだろう。
 

 勢いよくシャワーを浴びる。全ての泡と決別した今、頼れるのは、このノズルから吹き出るお湯のみ。頭の先から、つま先にかけてまで、お湯を流し続ける。
 スポンジを使う必要もなく、全身をさするように、必要最低限の汚れを落としていく。必要以上に落とすのは、人類の愚かな行いなのだから。
 ものの五分で終了。湯船に浸かり、いつもより少しばかりヌメついた身体が、自然の油を感じさせ、残すべきものを残せた満足感に浸る。
 

 今日の入浴と比べて、昨日までの入浴の過剰なまでの神経質さに狂気を感じ、ストレスフリーの意味を肌で感じることが出来た。
 思わず鼻歌が、「風呂に入って~肩まで浸かって~♪♪」
 くるりの”温泉”湯船での鼻歌はいつもこれである。
 そこで思い出した。明日は月に一度の美容院だ。さすがにシャンプーを断る訳にはいかないので、三日分しっかり洗ってもらおうと思う。
              aloha shigeru!!!