地下鉄改札前に映し出されたのは、私達が生き抜かなければいけない、この世界
想像力に欠けた選曲
駅構内、改札の手前の人溜まりが出来る場所に流れる曲が、ここ最近変わった。
これに少し疑問を感じている。
以前流れていた曲は、明らかな、癒しのメロディーで、少し眠気を誘うかのような優しい曲調だった。
色で言うと、クリーム色だ。
私はその曲が好きで、苛立つ、出勤時間でも、あの曲が耳に入ると、心が少し静まるような感覚を覚えた。
最近新しくなった曲は、慌ただしい競走馬が走り回るイメージ。
もしくは西部劇のカウボーイが馬にまたがり、荒野を駆け抜けるシーンを連想させる。
色で言うと確実に赤。
緊迫感を高め、勝負事の前にでも流せば、アドレナリンが全開となりそうな曲なのだ。
場面は朝の地下鉄だ。
人でごった返す、改札前。
ラッシャアワーのこの時間、サラリーマン達の苛立ちはピークだ。
その苛立ちに、拍車をかけるかのような曲を選曲した目的はどこにあるのだろうか。
あれは確実に人々の苛立ちを増幅させる。
サラリーマンの朝一とは、おそらく憂鬱との戦いだと思う。
これから始まる一日、新しい一日に、期待はなく、何とかやり過ごす思いではないだろうか。
そんな心境で乗り込まなければならない、乗車率120パーセントの地下鉄。
それぞれの張りつめた糸のテンションは限界にまで達し、それに追い打ちをかける、いや、とどめを刺すかのような、血気盛んな曲。
あの頃の日本を取り戻すために、サラリーマン達のテンションを朝から無理矢理上げて行こう。アゲアゲで行こう、アホの考えそうな事だ。
殴り合いの喧嘩や、言い争いが勃発しないことが不思議でしょうがない。
曲が変わってから、同じ時間に地下鉄を使うものとして、人々の反応を注意深く観察してきたが、皆、いつも通りだ。
相も変わらずじっと堪えている。
すごいな、えらいな。
心からそう思う。
そして、朝の地下鉄改札前の光景は私にとって、世の中全体、我々が生き抜かなければいけない、社会のように映し出された。
一人一人が与えられた場所でじっと堪え、すべての流れに滞りが出ないように、心を殺して、事に仕える。
決してはみ出したり、列を乱してはいけない。
個人の勝手な判断は全体の流れに歪みをもたらし、結果、一部が破損したり、分解してしまう。
曲の選択ミスを犯した側の過失になど誰も興味がない。
興味がないどころか、曲が変わったこと自体に多数の人は気付いていない。
無関心になれば怒りは起こらない、知ることがなければ、傷つくことなどない。
こんな事に怒りを感じてしまうのは私のような、堪える事をあまり知らない、駄目な人だけなのかもしれない。
そして、それはある意味とても不幸だ。
aloha shigeru